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ABOUT OSHIMA TSUMUGI大島紬を知る

大島紬の

大島紬の、歴史を知る。

大島紬は千三百年以上の歴史と伝統を誇る日本を代表する伝統的工芸品です。それは、世界に類を見ない緻密な絣文様と、泥染め独特の渋い色調の光沢により格調高く、高級先染め絹織物として揺るぎない地位を確立しています。
 しかし、現代の生活スタイルは洋風化し着物離れが進み大島紬の需要が年々減少しています。
これからは、大島紬の伝統を守りながら、現代の多様化した価値観による新たな取り組みが求められていると思います。
この大島紬を未来に継承するためには、奄美大島で大島紬がどのように誕生し、緻密な絣織物に辿りついたのか、その歴史を遡り、源流を探ることで大島紬の真価を1 人でも多くの方々にご理解いただけたら幸いです。

柄合わせカット
大島紬の柄合せ。絣を針先で抜出して調整している。
八〜九世紀頃の遣唐使による海洋航路
八〜九世紀頃の遣唐使による海洋航路。

1:奄美大島は海上の「道の島」として、
古来から織物技術が往来した地。

大島紬が生まれ育った奄美大島は、鹿児島から約400キロメートルの南西諸島に位置し、東シナ海と太平洋を区切るように並ぶ奄美群島(奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島)の中で最も大きな島。古来「道の島」と呼ばれ、中国大陸と南方諸国の海上要路として重要な役割を果たしてきました。七、八世紀には遣唐使船の中継地として、中国大陸から綾織(浮織)、唐錦等の織物文化が、南方の島々からはインドを発祥とする絣織物が、奄美大島に伝わったと考えられています。

真綿カット
伝統的な真綿のつくり方。屑繭を煮沸し精練した後で、綿上に引き広げる。

2:大島紬独自の絣文様は、「綾織」と
「トリキリ」の考案から。

一般的に紬とは、養蚕地の屑繭処理として用いられる真綿を使うため見かけもざっくりして光沢も少ないため木綿織物に似ています。

このため絹織物でありながら百姓や町人にも着用が許されていた織物でした。

しかし享保5年(1720年)、薩摩藩から紬着用禁止令が出て質素倹約を強いられてしまいます。

紬の家内生産が厳しくなった島民は、芭蕉を素材とすることに甘んじます。

平織 ■緯糸 ■経糸 綾織 ■緯糸 ■経糸
中国から伝来した「綾織」に習って高度な織物技術を習得した。

もともと、奄美大島の島民は外来の華麗な織物である中国唐朝時代の綾織(浮織)が伝わっていたため服飾文化と染色技術の高さを生かし、新たな工夫を凝らして美しい柄模様の織物を追求していました。

しかし、追い討ちをかけるように始まった薩摩藩による黒糖政策によってサトウキビ作りの重労働を強制されたことで、いよいよ奄美大島の島民たちは高度な技術と時間を要する唐錦の染織が困難となってしまいます。

手括りカットもしくは、染色後の手括り糸を外して文様がでた様子
「手括りの絣染」。糸の段階から布地の柄を想定して括るという緻密な作業。

これに代わってインドから南方諸島を辿って伝わった比較的簡単に文様を織り出すことができる「手括りの絣染め」が、生産性も良いことから島民に好まれるようになります。

従来の綾織りの染織技術が高いだけに、島民が憧れていた綾織に近づけて手括りで糸を染め分け、緻密な点と線による二、三種類の小絣を組み合わせ、これを斜行的に並べて文様に発展させる技法(古代綿や綾文様の表現形式)を考案します。

島民はこれをトリキリと呼びました。現在の大島紬の斜行的な絣文様は、中国の綾文様に影響を受けたもので、これに奄美大島に古くから伝わる古代染色法と紬織の在来技術が同化したトリキリが、現在の大島紬の基本染織工法となり、世界に類を見ない独自の緻密な絣(かすり)文様となったのです。

テーチ木染イメージ
自然豊かな奄美大島で草木染め技術は高度に発達した。

3:奄美大島の気候風土から生まれ、
島民と共に育まれた
奄美の心情を織りなす大島紬。

― 泥染・古代染色・奄美の情景をデザインした文様―

亜熱帯海洋性気候の奄美大島は、四季を通じて温暖で、芭蕉、苧麻、桑木等が茂り、養蚕の適地でした。

また、染色に使用する材料も豊富で、山野に自生しているヒル木、テーチ木(車輪梅)、くちなし、椎等の木皮を煎じて使用していました。

しかし、木の皮だけで染めただけでは無格好で、色合いも好ましくありませんでした。

泥染の写真
龍郷町の泥田。深い自然に囲まれた神秘的な雰囲気の中泥染めが行われる。

ある日、奄美大島の笠利(かさり)地域あたりのある婦人が木皮で染めただけの衣服を洗濯のために泥近い水に浸しておいたところ、鼠色に変わっていました。

これが泥で布を染める発明のきっかけとなりました。テーチ木の煎液中に含まれるタンニン酸色素と泥田に多く含まれる二価鉄の媒染により黒く発色し、渋く深い黒色に染まったのでした。

その後、種々の木皮汁で下染めし、泥染めを行っていましたが、テーチ木(車輪梅)が最も堅牢度が高いことが認められ、テーチ木に統一するに至りました。

泥のアップ
テーチ木染と泥染の化学反応によって大島紬独特の渋い黒色が完成する。

また琉球列島付近に分布する百五十万年前の粘土層は鉄分(二価鉄)を多く含み、粒子の細かい粘土層が奇跡的に残っていることが地質学者の研究で判明し、奄美の泥でしか発色しないことが証明されています。

奄美のアダンの実
代表的な大島紬の龍郷柄のモチーフとなったアダンの実。

大島紬の緻密な絣文様は、生活に身近な動植物、ハブなどの自然や、秋名バラ(竹製のザル)などの民具をヒントに創作されたモチーフが基本となっています。

やがて精緻な点と線による斜行的な幾何学文様へ発展していきました。

大島紬の柄には奄美大島の豊かな自然の情景が織りなされているのです。

龍郷柄の大島紬
アダンの実をモチーフとして織られた龍郷柄の大島紬。

4:千三百年以上の長い歴史と変遷を経て、  先人が築き受け継いだ伝統の結晶。

大島紬は「道の島」である地理的条件、自然の豊かな恵み、島民の美的感性と創造的精神、さらに精巧な技を要する職人の手作業によってできる、伝統的工芸品です。
千三百年以上の長い歴史と変遷を経て、先人が築いた伝統を継承する日本を代表する、世界に誇れる高級先染め絹織物といえるのです。